英語の音声に関する雑記帳

英語の発音について徒然と


学習用英和辞典にイギリス発音の表記は必要か?

1.背景
英和辞典への /ɪ, U/ の導入
• 日本では『新英和大辞典』 第5 版(1980年、研究社)が最初に導入。
• 学習用英和辞典としては、『プロシード英和辞典』 (1988 年、福武書店)が最初に導入、『ライトハウス英和辞典』 第2 版(1990年、研究社)がこれに続く。
• 近年では多くの学習用英和辞典がこれを採用しつつある。

/ɪ, U/ の導入が範としたもの
• English Pronouncing Dictionary第14版(1977)における Gimsonによる変革
 それまでのJones式
 beat /biːt/ – bit /bit/; root /ruːt/ – foot /fut/ (長音符号のみによる区別)
 Gimson式
 beat /biːt/ – bit /bɪt/; root /ruːt/ – foot /fʊt/ (長音符号に加えて、記号を変えることにより音質の違いも表わすようになった。)

取り残されたもの
Jones→Gimson の変革には、もう1箇所の変更があったが、何故か『新英和大辞典』 第5版には取り入れられなかった。
 Jones式 fog /fɔg/ – caught /kɔːt/ (長音符号のみによる区別)
 Gimson式 fog /fɒg/ – caught /kɔːt/ (やはり長さに加えて音質の違いを記号で示している。 )

2.問題点
いびつな扱い
音質・長さともに異なる /iː/ vs /ɪ/, /uː/ vs /ʊ/ については記号の区別をしているのに、同様に音質・長さともに異なる /ɔː/ vs /ɒ/ は、長さの違いのみを表記した /ɔː/ vs /ɔ/ のまま放置されている。扱いがちぐはぐである。/ɪ, U/ を採用している英和辞典は全てこの状態にあり、欠陥表記と呼ばざるを得ない。従来のJones式の方がまだ一貫性があった。

3.解決法
解決法(1)
• 単純にEPDに追随して /ɔː/ vs /ɒ/ とする。
 – 利点1:IPAが定める記号と音質の関係に合致しているため、グローバルスタンダードと言える。
 – 利点2:イギリスで出版されているEFL/ESL辞典がこの方式を採っているため、英英辞典に移行する際の抵抗が少ない。
注意:アメリカ発音の表記への影響
 アメリカ発音で /ɔː/ と表記されている母音はイギリス発音の /ɒ/ とほぼ同じ音質なので、/ɒː/ と変更する必要が生じる。(cf. LDOCE)

 結果的に、次のような表記になる。
/ɚ/ を用いる場合:
 cot /kɑt|kɒt/, caught /kɒːt|kɔːt/, cord /kɔɚd|kɔːd/
/r/ を用いる場合:
 cot /kɑt|kɒt/, caught /kɒːt|kɔːt/, cord /kɔːr d/

解決法(1)の問題点
  新たな記号 [ɒ] を取り入れることになる。大辞典クラスでは特に問題になることはなさそうだが、学習用英和辞典への導入となると、教育現場(殊に教員)が受け入れるかが問題となる。hooked schwa /ɚ/ でさえなかなか浸透していない現状を見ると、この点について悲観的にならざるを得ない。

解決法(2)
• /ɔ/ を /ɒ/ とするのではなく、/ɔː/ を /oː/ に変える。(イギリス音のみ。つまり all は /ɔːl|oːl/ と書き分ける。)
※これには全く根拠がないわけではない。イギリス発音の caught の母音は日本語の「オー」とほぼ同じであるため、わざわざ [ɔ] を使って特殊な音であるかのような印象を与える必要はないからである。
• もし /oː/ と /oʊ/ が紛らわしい印象を与えるなら /oʊ/ を /oʊ|əʊ/ として米音と書き分ければよい。
解決法(2)の米音表記への影響
• caught の母音には postvocalic r が発音されない sort のようなものも含まれるため、イタリックrを使用する表記体系では cord を /koːr d/ と表記することになる。
• hooked schwa を使う表記体系では sort のような語は米英別々に表記するので影響はないが、それでも /oɚ/ とするメリットはある。それは、/ɔː/ と /ɔɚ/ の出だしの母音は、前者の方がはるかに低く、同じ記号で表わすのには無理があるからである。


結果的に、次のような表記になる。
/ɚ/ を用いる場合:
 cot /kɑt|kɔt/, caught /kɔːt|koːt/, cord /koɚd|koːd/
/r / を用いる場合:
 cot /kɑt|kɔt/, caught /kɔːt|koːt/, cord /koːr d/

解決法(2)の利点と問題点
• 利点:新しい記号を導入していないこと。
• 問題点1:IPAが定める記号と音質の関係を逸脱する部分(/ɔ/)があること。
• 問題点2:イギリスで出版されているEFL/ESL 辞典でこの方式を採っているものがなく、移行上のメリットがないこと。
• 問題点3:記号の使い方を変えるだけで教育現場には受け入れられなくなるかも知れない。

ジレンマ
• /ɪ, U/ を採用している英和辞典の現状は欠陥表記 である。これを放置しておくわけには行かない。
• だからと言って、従来のJones 式に戻るのは時代錯誤である。
• 解決案(2)は教育現場の抵抗を少なくするための苦肉の策だが、それでも受け入れられる保証はない。音声学的に健全な解決案(1)が好ましいが、果たして受容されうるか?

4.問題提起
イギリス発音の是非
 日本の英語教育では、暗黙のうちにアメリカ発音が教えられている。その段階で、イギリス発音を表記した学習辞書 が一体必要なのだろうか?
 アメリカ発音とイギリス発音を併記ないし折りたたんで表記していることにより、発音表記はいたずらに読みにくいものになっていると思われる。教育効果上も、両方を表記するのは得策ではないのではないか?
※参考
カナ表記を採用している辞書の表す場合、カナで表されているのはほぼ例外なくアメリカ発音である。
–例外:『ヴィスタ英和辞典』 (1997年、三省堂)=米英両方の要素を取り入れた “日本式”

要するに・・・
 学習用英和辞典にイギリス発音を表記することが必要なのかどうか、真剣に考え直してみる必要がある。単なる惰性なら、捨ててしまう勇気が必要である。そうすれば、ここで行っている議論は不要となる。
 イギリス発音が必要であるという結論が出るのであれば、それを正当に扱うために表記体系を改める必要がある。これを受け入れることができるのか、教育現場には問い直してもらいたい。必要であると結論づけるのなら受け入れる義務があると考える。



“学習用英和辞典にイギリス発音の表記は必要か?”. への3件のフィードバック

  1. […] )を採用したこと、そして、このブログの過去記事「学習用英和辞典にイギリス発音の表記は必要か?」(2006年11月23日)で指摘した矛盾を解決するために新たに ɒ […]

    いいね

  2. […] 基本的に、「学習用英和辞典にイギリス発音の表記は必要か?」で提起した問題について、イギリス発音を排除するのではなく、正当に扱う方向で解決を図ったものである。 […]

    いいね

  3. […] 基本的に、「学習用英和辞典にイギリス発音の表記は必要か?」で提起した問題について、イギリス発音を排除するのではなく、正当に扱う方向で解決を図ったものである。 […]

    いいね

コメントを残す