拙論「生徒が犯しやすい発音上の誤りを見つける」(『英語教育』2013年12月号記事)について

この記事について、早速と言うべきか、“発音ザムライ”靜哲人氏からの物言いが付きました。題して「データベースを調べないとわからないのか?」。

簡単に言えば、教師は日々生徒の発音に接しているのだから、生徒の発音にどのような問題があるのかは十分に把握しているはずである、わざわざ別途データベースを調べる必要などない、ということでした。更には、日々出会うことのない問題点がデータベースに存在したとしても、それは、目の前の生徒の発音を良くすることが仕事である教師には関係ない、とも。

実を言えば、このような反応があることは十分に予想していました。何しろ、この特集は「授業に活かす言語学」と題されているのですから、読者の英語教師の方々に、このような研究をしろと薦めているかのように読めてしまっても不思議はありません。

言い訳をしようという訳ではないですが、執筆段階では、音声資源コンソーシアムから「日本人学生による読み上げ英語音声データベース」を入手して利用するのではなく、現場の先生方であれば、自分の生徒からデータを得る方が、自分にとって、もっと妥当性の高い研究ができるだろう、という趣旨の文を入れようかと検討していました。しかし、見開き2ページというスペースの制限があったのはもちろんですが、それ以外にも、考えてみれば、僕がこのデータを使って研究をしている以上、他人に全く同じ研究をせよと薦めるのはナンセンスであって、そんなことを薦めているはずがない、という読み取り方をしてくれればいいな、と願望半分に判断して、ある意味では能天気に自分の研究の一部を紹介するという記事にしたのでした。今から思えば、そういう願望は、ちょっと読者に多くを求めすぎだったのかも…という気もしますが、ともあれ、そういう判断でこういう文章にしたわけです。

もっとも、靜先生であれば、たとえ自分の生徒であったとしても、わざわざコーパス化して調べなくても、日頃の観察をしっかりやっていれば、どういう傾向があるかは分かるはずだ、と仰るかも知れませんね。ここには恐らく、僕と見解の相違がありそうです。

簡単に言ってしまえば、僕はそういう“経験則”というものを信用していない、ということです。僕のやっていることが厳密な意味でのコーパス研究と呼べるようなものであるのかどうか分かりませんが、コーパス研究は、かなりの範囲、経験則で分かっていることの確認をするだけに終わるということは確かでしょう。しかし一方で、そういう経験則では見つかっていなかったことがらも出てくるわけです。やはり、日頃の観察にとどまらず、データを蓄積して詳しく調べる意義を認める必要があると思います。

経験則が当てにならないのは、そもそも、常日頃、生徒の発音のあらゆる面を漏らさずに観察し尽くすということが不可能だからです。それができる超人的な人間もいるのかも知れませんが、少なくとも僕には無理です。せいぜいできるのは、問題があると分かっていたり、うすうす感じていたりする部分に着目して観察することぐらいです。

僕がこういう研究をしている直接の目的は、自分で書いた英語音声学の教科書が、所詮は経験則にしか基づいておらず、日本語話者が英語の発音においてやりがちなことをとらえ切れていないという部分を改善する助けにするためです。そのためには、目の前の学習者にとどまらず、なるべく一般性の高い形で日本語話者の英語発音を調べなければなりません。もちろん、今使っている音声データベースが十分に一般性の高いものであるという保証はありませんが、少なくとも、僕自身の目の前の学習者よりは一般性が高いだろうという前提でこれを使っています。当然ながら、研究成果は、『日本人のための英語音声学レッスン』の改訂(やるかどうか決まっているわけではありません)、あるいは、新たに書くかも知れない本に活かしていこうと考えています。

英語教員の方々が英語音声学を学ぶ意義は、英語の音声体系を正しく把握し、自分の発音や他人の発音を矯正する技能を身につけることです。発音を矯正するためには、問題点に気がつかなければなりませんが、さっきも書いたように、普通の人は、どこに目を付けたらいいのか分からない状態では、問題点に気がつかずに終わってしまう可能性があります。そのために、日本人向けの英語音声学の教科書は、「日本語話者は~しがちである」という傾向を書いて注意を喚起するわけですが、僕の本に限らず、その部分がいささか不十分であるという現状認識の元に、そこを改善するための努力の一つが、僕のこの研究だというわけです。

さて、僕はそういう目的があるからいいとして、一般の英語教員の方々が、自分の生徒を材料に同様の研究をする意義はあるのか?という問題に戻りますが、これは正直に言って分かりません。しかし、現状ではどの英語音声学の教科書も日本語話者の発音の問題点についてはステレオタイプ的なことがらしか書いてありませんし、僕もやっとデータの構築を終えて分析をし始めたという段階に過ぎず、結果を結論的に記述した論文はまだ書いていないため、文献には書かれていない傾向を、自分の手許のデータで発見することで目を開かれる面はあると思います。現に靜先生は、自分の学生の /p, b, m/ の問題点について、コーパス化してまで調べるまでもなく、日々の観察で気づいて授業で活かしているわけですから。

それに、単純な話として、本を読んで知識を得るよりも、自分で観察して何かを発見することの方が、刺激的ですしね。そうした知的興奮を味わう経験というのは、仕事に役立つかどうかを超えて、何物にも代えがたいものだと思います。

但し、ここで注釈ですが、聞こえてくる音声を、先入観なしに精密音声表記するという作業は、簡単なものではありません。そのための技能も必要ですが、技能があっても、多くの音声データを表記化するという作業そのものに必要な時間と集中力は並大抵ではありません。僕も、作業を始めてみて、音を見極めて表記に直すことはとても楽しいのだけれど、その途方もない量に心が折れそうになったことが何度もありますから。やるならば、相当の覚悟が必要な研究であるということだけは確かです。

また、実を言えば、僕自身の問題意識は、こういう研究をすることそのものよりも、むしろ最後に書いた、こういう研究ができるだけの技能を英語教員の方々につけて欲しい、という部分にあります。最後の「ぜひとも挑戦してみてください」という文にはそういう気持ちがこもっています。

靜先生のような、日々の授業で生徒の発音の観察ができている、と言えるだけの発音技能を(観察と矯正を含む)持つ英語の先生は決して多くないでしょう。その点で、靜先生の仰ることは、ある種の建前論であると同時に、英語教員たるもの、そのように言えなければならない、という同業者に対する叱咤が含まれているのだろうと僕は思います。

僕の思いも、煎じ詰めれば同じような方向を向いています。英語の先生方には、英語音声学、日本語音声学、一般音声学の技能を付けて、指導に活かして欲しいというものです。もちろん、今回の特集の性質上、そうしたメッセージに最重点を置くことはできなかったわけですが、記事に対する蛇足とも言えるこのブログ記事で、そのことをもう一度訴えておきたいと思います。

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